日和佐 発心の会

徳島県海部郡美波町の地域づくり団体です。

まちづくり視察(高知)

高知県の前原掩体群

 

 

 

高知県に視察に行ってきました。

視察のテーマは「文化の保存・活用」です。

 

 

 

まずは隈研吾さんの建物がたくさん建っていることで有名な檮原町に行きました。

 

梼原町にある「ゆすはら座」は高知県下唯一の木造芝居小屋であり、町内の戦後復興期の象徴的な施設です。町内のもみや松などの木材を使って、昭和23年に建設されました。

開館当初は映画や芝居・歌舞伎など娯楽の殿堂として地域で親しまれましたが、時代の変遷とともに利用率が低下。維持運営上の問題から一時は、町組において取壊しの決議がされました。しかし各方面からこれを惜しむ声が高まり、平成6年に町保護有形文化財に指定され、平成7年9月に修復移転されました。
檮原で数多くの建築を手掛けている隈研吾さんもこの運動に携わっており、「ゆすはら座」が自身の木造建築のルーツであるとのことです。

ゆすはら座

 

 

 

舞台の下手側には花道が取り付けられており、歌舞伎が上演されていた頃の臨場感が漂っています。現在は、神楽の上演や各種講演やまちづくりの会合等に活用されているとのことです。

ゆすはら座 内観

 

 

 

 

 

「ゆすはら座」と隈研吾さん設計の建物を見学した後は、四国の最南端土佐清水市にある「海のギャラリー」へ行きました。

 

林雅子さんの設計で1966年に竣工した小さな貝殻展示施設です。外観は切り妻屋根の建物ですが、左右対象の片流れの折板屋根が自立して空間をつくっています。

建物内のパンフレットには「海のギャラリー」の類似例として原広司の自邸や清家清の九州工業大学記念講堂が紹介されていたが、個人的にはルイス・カーンの「キンベル美術館」が頭に浮かびました。(カーンにはキンベル美術館をアーチ構造だとずっと思い込んでいたという逸話がある)

海のギャラリー

 

 

写真でも分かる通りとても魅力的な建物なのですが、2000年頃には運営難と老朽化で施設の存続が危ぶまれる事態となりました。林雅子さんが亡くなった2001年、「海のギャラリー」を訪れた夫の林昌二さんはその状況にショックを受け、2002年に保存再生を目指して「海のギャラリーを生かす会」を発足し、募金活動や保存のための署名運動を行いました。

その結果、土佐清水市も財源確保に動いて2004年に市議会で再建が決定し、「林昌二と海ギャラの仲間たち」による改修設計・監理を行い、2005年にリニューアルオープンに至っています。その後も、2019年に登録有形文化財に登録されました。登録を契機に、約15年ぶりの部分補修・改修が行われました。

 

建物の構造が展示にうまく反映されている感動的な空間です。ただ年間の来場入場者数が約4000人余りということを考えると建築目的以外の来場者をどう増やしていくかが今後の課題なのだろうと感じました。

海のギャラリー 1階

海のギャラリー 2階

 

 

 

 

次は宿毛の芳奈の泊屋へ行きました。

泊屋は別名「やぐら」とも言われ、戦国時代に見張りとして建てられたのが起源とされています。そのため集落の入り口か中央の見晴らしの良い場所に建てられていました。

幕末以後は集落の警備以外にも、若い男の夜鍋や社交の場として利用されていましたが、明治末年頃より夜学が盛んとなって、床の低い公会堂として改修されたり、風紀を乱すという理由で次々と取り壊されていきました。わずかに残った芳奈の泊屋は昔の若衆組の研究資料として県の文化財の指定を受けて保護されています。ちなみに建物の下に見える大きな石は若衆達が力比べの遊びに使った力石(ちからいし)と呼ばれるものです。

芳奈の泊屋

 

 

屋根は切妻造りの杉皮葺きで、内部は畳6畳敷きです。地盤から床までは約2100mmくらいの高さですが、室内は立つと頭がぶつかる秘密基地のような建物でした。文化財として保存されていることは素晴らしいと感じた一方で、こういった場所が人々の日常(非日常)的な居場所として、活用されていくとよりおもしろいなと感じました。

ちなみに山奈町芳奈地区には4つの泊屋があります。

芳奈の泊屋

 

 

 

 

 

最後は前原掩体群へ行きました。掩体は旧高知海軍空港隊所属の飛行機を攻撃から守るための格納機です。昭和16年〜20年の終戦直前まで飛行場からの誘導線に沿って鉄筋コンクリートのものが9基、木や土、竹でいくつか造られました。現在は鉄筋コンクリートのものが7基残っています。ここは飛行予科練習生卒業生のうち、偵察搭乗員の実技教育をする飛行術偵察専修練習生の本科の練習航空隊でした。その練習機が通称「白菊」であり、昭和20年から「神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊」として沖縄へ悲劇の出撃を果たします。

5号掩体は、貴重な戦争遺跡として、将来にわたり保存し、平和教育の教材として活用するという基本方針が定められ、掩体の戦争遺跡としての価値を損ねないように補修・補強が行われました。

南国市ホームページ:「前浜掩体群」5号掩体公園の整備

5号掩体

高知海軍航空隊平面図

 

 

4号掩体は他と比較すると一回り大きく幅44m、奥行き23m、 高さ8.5mの巨大な掩体です。 双発の大型機を格納することができます。現状農家の物置として使われていました。

地域の方にお話を聞いたところ、戦争当初は掩体に本物の戦闘機はほとんど格納されておらずその代わりハリボテの戦闘機が格納されていたとのことでした。アメリカ軍にもそのことがお見通しだったためか前原は空撃の対象とはならなかったとのことでした。

ロシアとウクライナの戦争が始まったということを考えると、こういった遺構が保存され続けていくことの意義は非常に大きいと感じました。

4号掩体

4号掩体

 

 

 

 

平成31年文化財の「保存」に力を入れていた文化財保護法が改正され、文化財の「保存と活用」という新たな視点が盛り込まれました。それによって、文化を保存するだけでなく、今まで以上に活用できるようにし、そこで得た利益を維持・管理に回すということに注目が集まっています。

活用という視点で考えると、今回視察を行った「泊屋」や「掩体」には大きな可能性を感じました。その理由としては、それらが群として地域一帯に存在しているからです。一つの地域にある複数の文化財は地域が生まれた当初からそれぞれが相互に繋がったものであると思います。だからこそ、それらの文化財を活用し相互に結びつけていくことでその地域がもつ歴史を浮き彫りにし、観光客はそのストーリを体験することで地域全体を理解できます。

 

 

美波町にも「大浜海岸」や「あわえ」といった地域一帯となった文化財があり、今後はそういった固有の資源をどのように活用するかということが重要だと感じました。

大浜海岸

あわえ

 

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